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飛騨あさひを一番知る男から歴史を学んでみた!

飛騨あさひには沢山の魅力があるものの、その魅力のルーツを分かっているようで分かっていない、観光客の方々から質問を受けても答えれない、そんな悩みを少しでも改善しようと本日は勉強会を開催し、飛騨あさひの歴史を一番知っていると言っても過言ではない「田口さん」にをお招きしました。田口さんは現在92歳。92歳に見えない記憶力と足腰の強さにびっくり!お身体が元気なうちに、もっとも朝日のことを教えていただこうかと思います。田口さんご協力ありがとうございました。

 

本日の勉強会のテーマはずばりこの3つ。

1つ目は「飛騨あさひの枝垂れ桜の歴史」

2つ目は「美女峠の由来」

3つは「秋神の由来」です。

 

大変多くのことを学ばせていただき、テーマについて不明確なところも徐々に明らかにできましたが、正確な情報である確認がとれていない為、今回は下記の情報のみ開示させていただきます。

1.枝垂れ桜の由来

〇これほど朝日で多くなった経緯

 高山市朝日町青屋地区「神明神社」のかつての枝垂れ桜は樹齢およそ500年(室町時代中期)と云われる古木、巨木と云われ、幾星霜(いくせいそう※1)を重ねながら、毎年春になると多くの人々の心の糧として親しまれてきた。

 また、この名木の全盛期は、根元に幼木の芽を出し、これが朝日町の方々へと移植された。

 古老の話によると、古くは同町万石地区の八幡神社に移植されたのをはじめ、浅井地区の神明神社にも移植された。現在、万石地区八幡神社境内に生息する数本の枝垂れ桜はその二世であり、一世は国道361号線の開発工事時に八幡神社横に石垣が造られた際に、成育状況が変化したことで枯れてしまった。浅井地区の神明神社の枝垂れ桜は、青屋神明神社から移植された一世のままである。なお、黒川地区天満神社の枝垂れ桜は、万石八幡神社の古木の二世であることが判明した。

 明治時代になると青屋地区の有志が、当神社拝殿横(現在自生している場所)に移植した。これが今や全盛期を迎え、毎年春には隣の水田に水を張り、夜はライトアップされるなど、一段の絶賛を浴びている。

 平成時代になってからは、朝日の里を更に「枝垂れ桜の里」にしようと国道沿いをはじめ、各所に枝垂れ桜の植栽に力を注ぎ、今や枝垂れ桜、ソメイヨシノ、山桜等々、桜いっぱいの里となった。

 なお、青屋地区神明神社の古木は、寄る年波には勝てず、平成20年頃、最期とも思える古木の一部に花を咲かせながら枯れてしまった。この巨木跡には、現在二世が自生している(根元直径、ふたかかえあまり)。

  

〈その他の情報〉

・甲地区の円城寺の桜の樹齢は約400年と大変古い

・秋神の法正寺の枝垂れ桜も古木であるが、どこから来たかは分からない

・飛騨あさひで最も古い寺院「長円寺」にも小さいが古木が存在している

・500年前から寺・神社から移植され続けれた 桜は大木になる 家庭では好まれない

・平成20年に3mほどの青屋神明神社の古木に新芽が生えた。その後、4つのつぼみが出て枯れた。

・平成3年頃から平成8年開催予定であった「ぎふスズラン国体」に向けて国道361線の大規模工事が行われた。「枝垂れ桜の郷にしたい」という思いから、その国道361号線沿いに積極的に植栽が行われた。そのため現在の国道361号線には沢山の枝垂れ桜が自生している。

2.美女峠の由来

・美女峠 美女とは古くは鎌倉時代(800年前)、現在の山口町から見座への6キロの峠があった

 

・比丘尼はお餅を作ることが得意で皆に評判だった。峠のつじには餅売り場、比丘尼屋敷もある(石碑がある)。

・朝日側の美女峠の旧江戸街道の石碑から、金峰神社より800mの地点と繋がっている。

・現在の美女高原にあたる観光開発組合の会長(山本豊治)が作ったのがはじまりで、比丘尼の伝説×餅の発想で美女餅が作られた。

 

・平成17年合併記念 1施設2億円の助成を受け、一気に開発が進んだ。

現在もある展望台が設置された当初は乗鞍岳の水鏡が見えるとても美しい景色が見れた(現在は周辺の木々が成長し、ほぼ見えなくなった)。

 当時は遊歩道の木が腐ってしまうことが多く、観光客の方々にご迷惑をおかけしていたが、この機会に遊歩道を550mの擬木に変更。ボート乗り場も擬木に変更 テニスコートも潰して大型バスが停車できる駐車場に変えた。

3.秋神の由来

結論、名前の由来は不明ではあったが、今後答えに結び付くかもしれない情報を得た